カテゴリ:棲むというコト( 8 )
探し求める住まい
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←福山ゆかりの現代建築家展
 10月22日(火)~27日(日)
 ふくやま美術館ギャラリーにて
 出展します。












つくることとつくらないこと。

残るものと消えるもの。

必要なものと売れるもの。

今まで沢山の矛盾を抱えていたような気がするけど、
来るはずの明るい未来の気配さえ感じた
岡山・高知での二週続けての営業活動だった。

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by kta-room | 2013-10-21 23:36 | 棲むというコト
夜なべ
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歌にも歌われていたように、
チョッと昔には母さんは夜なべをして手袋を編んでくれたものだ。
手袋だけでなくセーターだって、
時にはちょっとした着るものくらいは縫ってくれたりしたもんだ。

今では手袋を買いに行く。

住まいもそうなのだ。

値段がまったく違うので
住まいを手袋と同じような買いものと考えるわけにはいかない。

けれども夜なべをして、手袋を編んでくれていた。

母さんたちの気分としては
住まいもすっかり買いに行くものになってしまった。


とは言うものの手袋もセーターも編んだことがないので
説得力がないのは分かっている。
だから、来週から幼稚園にいくムスメのスモックに刺繍をほどこしてみた。


ホトホト面倒なことになるのも、
大きなエネルギーを費やさなければならぬことも一目瞭然であった。
しかし、やらなければならない。
それは、モノを作ること、買うことの深い意味を考えることが、
今の自分には必要であったから。


ちなみに左のシュールな鍵盤はツマ作で
右のラブリーな花束はワタクシ作である。
by kta-room | 2008-04-10 11:39 | 棲むというコト
都市に棲む
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都市に棲むこと、つまり「都市住宅」という概念は、
その言葉の響きとともに魅力的である。


それは、都市に住むという困難さを前提にしながら、
それに対しての攻撃的な姿勢がソノ言葉の背景にあるからなのか、、、


都市に家を建てるということは、いまだ高騰する土地の中で、
つまりは狭小地の中で最小限のモノにしなければならない場合が多い。


最小限というと、ワタクシ達は増沢洵などの最小限住宅 の試みや、
東孝光の塔状住宅 を思い起こすかもしれない。

その試みは捨てていく攻撃的な快楽はなく、
最小限のモノだけは確保しなくてはという所有への欲望が形になり、
モノが溢れている中を生きていかなければならない我々に、
一つの姿勢を示しているように思う。
by kta-room | 2007-07-17 10:13 | 棲むというコト
夢見る空間
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子供の頃、家の中には怖い場所があった。


家を出されるのはもちろん、
いたずらが過ぎて押入れに閉じ込められたり、
暗い場所にやられるのが怖かった。


どこの家にも必ず怖い場所・暗い場所があった。

大げさに言ってしまえば家は暗闇を持っていた。



ムスメは箱入りで筋金入りのオテンバムスメである。
ゆえに怒ることもシバシバ。


しかし家の中に暗闇は見当たらない。
日中、陽の差さない部屋なんてないし、押入れの中にだって薄日が差し込む。


昔は狭い押入れの中にも快感はあった。


フトンや茶箱のすき間に押し込められ、
壁の隅を凝視すると、ねずみの掘った穴らしき暗黒の世界がウッスラと見え始める。

コレは本当にイヤだったけど、
でも、時には泣き疲れて、そこでうたた寝をすることだって出来た。

押入れの中にも、夢を見る空間は残されていたのだ。


ワタクシが住んでいる家の押入れの中は、薄日が差し込むばかりか、
用心深くフスマを開けなければドーッと崩れ落ちてくるぐらいに、
押入れはモノでいっぱいだ。

ムスメが泣き寝入りするすき間すら、押入れには残っていない。


要らないモノを持ちすぎる不自由さの中にいると、
無一物の自由さがまぶしい。


ということで、オテンバムスメに
夢見ることが出来る空間を創ってやろう。
by kta-room | 2007-06-18 18:18 | 棲むというコト
家との付き合い
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裸足で町を歩くなんてことが出来なくなって久しい。

子供のころは、時に遊びに夢中になると裸足で駆け回っていた。

しかし、私たちの足はいつの間にか靴下や靴をつけることが常識になって、
直接、町の床と接触するのをやめてしまった。


足は感覚で町を感じることをしなくなっていた。


ムスメと遊んでいると色々気付かされる。

靴を履いて遊んでいたのだが、
それがだんだんオックウになったのか、むれてきたのか
靴を脱ぎ始める。


町の床を確かめるようにおそるおそる歩き、
自分なりに安全だとわかるとひたすら走る。

ドコに向かうわけでもなくひたすら走る。


大げさかもしれないが、社会への第一歩のような気がした。


私たちが町を裸足で歩くことをやめたのは、まだなんとなく仕方ないかと思う。

何しろ色々と危険なことが路上には多いから、、、


しかし、なぜ家の中まで私たちはスリッパを履いて、
わざわざ家の感覚と疎遠になろうとしているのだろうか。


裸足の足で床を感じることは、
家との付き合いの第一歩だと思うのだけれど、、、
by kta-room | 2007-05-02 18:36 | 棲むというコト
古い家
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表通りの騒音から逃れて、
ココは時間さえも停止してしまったかと思われる不思議な場所だ。


時間だけがつくり出すことが出来る温かさがアチコチに染み込んでいる。


もちろんソコで遊んだことも、暮らしたこともないけれど、
得も言われぬ懐かしさがやってくる。



バアちゃんにお灸をすえられたこと、

ジイちゃんが包丁を持って追っかけてきたこと、、、


過ぎ去った日々の追憶は時に苦く、しかし多くは甘美なものである。



カタカタと鳴る建付けの悪い木製建具、

ソノ隙間から流れ出るそよ風を浴びながら昼寝をする悪ガキたち。



それは何かしら風通しの良い自由な時間を、
行き交う人にも思い起こさせはしないだろうか、、、
by kta-room | 2007-02-25 00:29 | 棲むというコト
住むこと
あけましておめでとうございます。



年末年始はワタクシとツマの両方の実家で過ごし、
アネも実家に戻るというので、合わせて帰ることにした。


久しぶりに家族がそろい、コノ家でこんなに人が集まるのは珍しく、
家具をどうレイアウトするのか楽しみでもあった。

ワタクシ家族が家に着くと酒臭いニオイで出迎えてくれた。


基本的に食事は食卓を囲みイスに座るのだが、
和室から座卓を持ち込みソファーの前に置き、ソレを囲むように座る光景は、
外国人がささやいているニッポンの住宅「ウサギ小屋」そのものだった。

もちろん設計する段階ではそんな光景は想像していなかった。

むしろそうならないために
大き目のダイニングテーブルを置けるスペースまで用意していたのにダ。


しかし、ワタクシはコノ光景を見て思った。


住むなんて当たり前のことにどんな決まりがあると言うのダ。


住むことに決まりはない。


自由に好きなように住めばいいのだと。





そして、お茶の間に尾骶骨を残し、
お互い顔を向き合わせて付き合うのが理想なんだということを、、、




ソレをまず、自分に言い聞かせなくてはいけない。
by kta-room | 2007-01-08 17:23 | 棲むというコト
夢うつつ
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子供ってのは何故どこにでももぐりこみたがるんだろう、、、

中でも、もぐり込むモノとしては最高のモノである
「蚊帳」の中で寝ることにした。
「いまさら・・・」と言う声も聞こえるが、
マア良いではないか。
案の定、娘は目を輝かせ狂喜したのだから・・・。

やわらかな優しい自然を家の中につくり出す「蚊帳」は、
知恵深い道具の一つであり、もう一つの家の中の家でもあった。


シンシンと底知れぬ蝉時雨。
時に風をはらみユッタリと流れ動いた。
何だか、寝苦しいはずの夏の夜が嘘のように
グッスリと深い眠りにつけるのだった、、、

そう、眠りにつけるはずだった、、、
が、そんな夢うつつは夢でしかなかった。
追憶ってのは、甘く切ないものにしかすぎなかった。


寝苦しい夜は続く、、、
by kta-room | 2006-08-19 19:00 | 棲むというコト


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