街づくりとは多くの人が必ずかかわる。
一人では出来ない。
街のプランを作成する人、造る人、
それを実践する人。
この業界には始末に負えないところがある。
自分もその内に居るのだから
文句ばかり言える立場でもないが、、、
当たり前だが動くお金が大きすぎる。
だから人間の欲も、、、
欲が動くからキレイゴトでは済まなくなる。
とある地方都市の街の外れ、
1968年に整備されたこの地域は
一度はさびれたが、
再び盛り上がったように見えるこの場所でも
人の欲が見え隠れする。
キレイゴトの絵空事に終わるのを承知で
理想を描いたこともあった。
それも結局ペーパープランのままで終わる代物である。
絵に描いた餅は喰えないのである。
そんな人の欲が動いているような街はもういいと
どこかで何かが動きだした。
それらはかなりゆっくりとした時間の中で
とある人たちの中で、
とある場所の特性を活かしプログラムされてきた。
その特性が徐々に加速され、
デフォルメされて、
シンボルとなり、
記憶化されてゆく
たぶん、、、
牛のように例えれば哲学的な響きも帯びようが、
実のところただただカタツムリの這いずり廻る如くに
計画は進み、
やっと工事が始まった。