写真は、直島にある大竹伸朗の「はいしゃ」
先日の土日は、2年ぶりに鳥取で住宅展。
2年前のイメージとは違い
思っていた以上に元気で、穏やかである。
来場した方々も予想以上に多く
具体的に考えられている方々、
そうでない方々ともゆっくりお話が出来た。
「きたない感じが好きなんです、、、」
と、なんとも興味深い発言をされている方もいた。
現代美術に詳しい読者なら
美術にもゴミやガラクタを意識的に使った
インスタレーション(即興)とか、
アッサンブラージュ(合成)と呼ばれる手法があることをご存じだろう。
たとえばイギリスのテムズ河辺に住む手造り建築家は
河を流れてくる材木だけで家を造っている。
「河からくるもの」になにかしらの聖性を感じているのだろう。
もっとも日本でも、
海岸べりの漁師の番小屋などは、
流木とか舟板を使って、
八代亜紀の「舟唄」なぞ唄いながら造るのが常識である。
新しいモノを造ろうとする行為は
とりもなおさず古いモノにまつわる認識や
観念を破壊することである。
磯崎新の「造りながらの廃墟」とまでは言わないが、
それに近いモノがある。